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山下 新太郎(やました しんたろう、1881年8月29日 - 1966年4月11日)は、洋画家。日本芸術院会員。 == 人物と作風 == 東京・根岸の東京一とも言われた表具師の家に生まれる。 幼少時から絵画に親しみ、1901年(明治34年)、画家を志望して藤島武二に師事し、木炭画を習う。同年、東京美術学校に入学、同期に、青木繁、熊谷守一、和田三造などがいる。 1904年(明治37年)、東京美術学校西洋画科を成績優秀なため一年繰り上げて卒業。翌年、パリに留学。はじめラファエル・コランに師事したが、のちにエコール・デ・ボザールに入学、フェルナン・コルモンに学ぶ。 1910年(明治43年)、帰国。1914年(大正3年)有島生馬・石井柏亭らとともに二科会を結成。1931年(昭和6年)、再びパリへ遊学しギメ東洋美術館所蔵の屏風絵を修復、この功績で翌年フランスよりレジオンドヌール勲章を授与される。1935年(昭和10年)、二科会を退会し、帝国美術院会員。1936年(昭和11年)、一水会を創立、1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員。1949年(昭和24年)、日展運営会常任理事。1952年(昭和27年)、国立近代美術館評議員。1958年(昭和33年)、日展理事、1961年(昭和36年)、同顧問。 1955年(昭和30年)、文化功労者、1964年(昭和39年)、勲三等旭日中綬章受章。 画風はオーギュスト・ルノワールの影響を受けた美しい色彩が特徴である。またパリ滞在中、表具師の家に生まれたことから敦煌から招来された仏画の修理を手がけたのを切っ掛けに、油彩画の修復や保存も学び、この分野の日本に於ける草分けとなった。同時に留学中から額縁を蒐集し、自作の額装にも配慮を欠かさなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「山下新太郎 (洋画家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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